傳因寺の開基 

 永福山傳因寺の開基は、室町時代の永禄元年(1558年)、毛利又在衛門が発心して釋祐信と名のったことに由来します。時代は戦国の世で、当時すでに本願寺七代目の蓮如上人の強化が全国を風靡していました。当然又在衛門も感化を受けたであろうと想像できます。

 元和元年(1615年)、又在衛門一門は大阪より当地の豊前国京都郡泉村へ下ったと伝え聞いています。当山最古の過去帖に元和十年(1624年)二月三日滅度。第二世の浄慶は翌年、寛永二年(1625年)十月六日閉眼。

 傳因寺の寺号は第三世の栄玄の代から申したと記されています。栄玄は寛文三年(1663年)三月六日、当山の今日の礎を築いて往生の素懐を遂げました。